歴史

千葉周作平成政

北辰一刀流兵法は、 江戸時代末期 (1820年代) 剣豪千葉周作平成政によって創始されました。 周作は1792年、気仙村(現在の宮城県気仙沼)に、千葉忠左衛門の次男として誕生します。 少年期について詳細はあまり分かっていませんが、 家族とともに気仙村より松戸に転居しています。

父 忠左衛門は 「北辰夢想流」 の開祖 千葉幸右衛門成勝のもとで剣術を学びました。 剣の扱いに長けていたため成勝の養子となり、 千葉忠左衛門成胤を名乗ります。

周作は幼少期より、 父忠左衛門と千葉幸右衛門成勝に 「北辰夢想流」 を学びました。 この頃すでに、 千葉周作平成政を名乗っています。 また浅利義信又一郎と中西忠兵衛胤正のもとで 「一刀流」 を学びました。 浅利の娘と結婚して浅利の姓となり、 義父とともに浅利道場を経営しますが、 門人らの前で行われた義父との試合に勝ったことから不和となり、 離婚を経て、千葉の姓に戻ります。

浅利家との別離の後、周作の武者修行が始まります。 日本全国を訪れては、 その土地で最も有名な道場の師範に他流試合を挑みました。 有名なところでは、 神道無念流 ・ 直心影流 ・ 馬庭念流などがありますが、 他にも数多くの流派と試合を行っています。 当時 「周作は、一度足りとも試合に敗れたことがない」 と言われていました。

この武者修行を通して悟りの境地に達した周作は、 1820年代初め、家伝の 「北辰夢想流」 と中西道場で学んだ 「一刀流」 を併合させ 「北辰一刀流兵法」 を創始します。 流派名は 「北辰夢想流」 と 「一刀流」 の名を組み合わせたもので、 数ある一刀流の形が単純化され、 技の熟達に専心できるよう稽古体系に工夫が施されていました。 誰にでも理解しやすく効率的に上達出来ることが北辰一刀流の特徴です。

Grab von Chiba Shûsaku Narimasa in Tokyo

幕末、 巷では以下のようなことが言われていました。 「流派の習得は通常6年かかるが、北辰一刀流ではその半分の3年でできる。」 と。 しかし実際には、 たった1年で、 流派の最終段階の習得を意味する 「大目録」 を授与された者もいました。 参勤交代で江戸詰めになっている侍は、 三年で国もとに帰るため、 江戸にいる間の修行で免状が取得できる教授法は、 流派の名を瞬く間に日本全国津々浦々に轟かせました。 そうして北辰一刀流は、 幕末 (1853~1867) にはすでに神道無念流、鏡心明智流とともに日本三大流派のひとつに数えられるまでの躍進を遂げたのです。

1855年、 周作は63歳にて天寿を全うします。 その功績と名声は生前から世に知られていましたが、 このような開祖は歴史上後にも先にも存在しません。 剣豪 千葉周作平成政の墓は、 上野の仁寿院に在りましたが、 関東大震災で仁寿院が東京都豊島区に移転したため、現在は豊島区巣鴨の本妙寺で参詣することができます。