北辰一刀流と深く関係のある 「月星紋」 (月に星) は、千葉家の家紋として使われたのが始まりで、 その歴史は約1000年を遡ります。
伝承によれば 「平安時代中期、天慶の乱 (931~947) を起こし、平将門とともに兵を挙げた千葉氏の先祖、 平良文が敵軍に追い詰められた際、 空から降ってきた星のおかげで窮地を脱し、戦いに勝利した」 のです。 以来、 軍神として以前より信仰されていた妙見 (北極星、 すなわち北辰を神格化した菩薩) は守護神として崇められるようになりました。 この一連の出来事こそ、 「月星紋」 が千葉氏の家紋となった由縁なのです。
一族の大名であった千葉常胤は、 源平合戦 (1180~85) の間、 自身の流派を創始しました。 これが 「北辰流」 です。 その教えは千葉家に代々受け継がれ、 「一刀流」 の教えと組み合わせて 「北辰一刀流」 を創始した千葉周作にも受け継がれました。 北辰流は流派としては途絶えたものの、 その教えは北辰一刀流の中に今もなお生き続けています。 北辰一刀流兵法の巻物には、北極星と北斗七星に直接関係のある技や教えが数多く記されています。 「月星紋」 「北斗七星」 「七つ星紋」 は同時期、 妙見菩薩ならびに北辰一刀流兵法のシンボルになりました。
北辰一刀流兵法における最高位の技は 「星王剣」 です。 これも先と同様に北極星を意味します。 千葉家に古くから伝わる 「我らは北辰の人!」 という言葉は今なお北辰一刀流兵法の門人の信条であり、 妙見菩薩の加護と流派に対する忠誠の表れといえます。
北辰一刀流では、宗家の家族にのみ「月に星」家紋の使用が許されています。血判を受け、流派へ完全に受け入れられた弟子は、自分の家紋がない場合に「丸に七つ星」家紋の使用が許されています。