系譜

北辰一刀流の宗家二系統(玄武館は途絶えたが、千葉道場が現存)と現在活動している二つの師範家系統

北辰一刀流兵法は、江戸時代には二つ存在しました。一つは開祖千葉周作の「玄武館」で、もう一つは弟千葉定吉の「千葉道場」です。ともに多くの門人を輩出しましたが、玄武館は明治20〜30年頃閉館しました。千葉道場はその約10年後、四代目宗家千葉束をもって閉館します。束の息子千葉鶴太郎、孫千葉晃は北辰一刀流兵法を教授しませんでしたが、技と精神は北辰一刀流の他の道場で継承されていました。千葉道場では、二代に渡り剣術の指導が行われませんでした。千葉鶴太郎と千葉晃は、両者ともに北辰一刀流の技を学びましたが、弟子を一人も取ることなく、宗家代理としてのみ活動しました。このため、両者とも系譜図には宗家として表記されておりません。

時を経た2013年(平成25年)7月1日、千葉定吉の直系子孫で第五代宗家の千葉弘政胤が、免許皆伝の大塚洋一郎政徳に第六代宗家を任命する形で、北辰一刀流兵法千葉道場が再興されました。宗家はこれより大塚家へ允可されます。大塚洋一郎は野田派北辰一刀流三代目代表 小西重治郎のもとで北辰一刀流を修め、辰明会道場を開くことを許されてからは北辰一刀流辰明会道場館長として小西重治郎存命中より10年以上最高位指導者を務めました。

2016年(平成28年)3月26日、中野サンプラザでの襲名披露をもって、大塚龍之介政智が第七代宗家を襲名しました。大塚龍之介は免許皆伝を允可された2014年(平成26年)7月12日より大塚洋一郎の道場養子となっております。

現在北辰一刀流兵法の他には、技の継承が行われた二つの北辰一刀流が存在します。道場目録を渡された師範らが新たな道場を開いて派生したためで、北辰一刀流兵法とは別の団体として活動しており、独立した代表者の名字をとって例えば小澤派北辰一刀流などと呼ばれます。

「北辰一刀流兵法」は日本及びEU、「北辰一刀流兵法千葉道場」は日本にて商標登録されております。したがって北辰一刀流兵法第七代宗家が許可した団体のみが「北辰一刀流兵法」及び「北辰一刀流兵法を含む名称」の使用を許可されます。現在許可されている団体一覧につきましてはこちらのページをご覧ください。